私は作曲する
今日は作曲をした。
私は、数年前からスマートフォンとパソコンどちらかで曲を作っている。最近では、パソコンが私の中で主流だ。
去年のちょうど今頃、どん底に虚無が混ざった毎日を過ごしている時、何となく「あ、曲を作ろう」と思い立った。
前から曲は作っていたけど、何となく前奏だけ作って、飽きて、また他に新しく作ることの繰り返しでこれといったものは無かった。完成形が無かった。
でもあの頃の私は、本当に空から何かがパッと落ちて来たみたいに、それまでよりももっと、シンプルに曲を作りたくなった。
死ぬか生きるか迷ってて、というより自分は死ぬしかないと思っていた。
おかしなことに「死にたい」から、「死ななければ」に変わっていき、食欲も無ければ、動くこともせず、言葉も思うように出て来ず、世の中全てが面倒くさく感じて、部屋の天窓から雲の流れを見ていた。今思うとかなり異常だけど、その時それが全てだった。
iPhoneを持つことすら嫌だったけれど、その日は急いで作曲アプリを開いた。キーボードが広がる画面をぽちぽち叩くと、音と言葉が波のようにザワザワと浮かんで、昼も夜も、ただひたすら画面を叩いて打ち込み続けた。あっという間に曲は完成した。
何かをやり遂げたことがあまりなかった私には、驚きと喜びだった。その時はまだ死ぬつもりでいたけど、明らかに希望が小さく生まれていた。
そして今に至る。音楽をして生きていきたい。音楽が人生のそばにいて欲しい。
自分が作る音楽を信じている私がいる。自惚れているだけかもしれない、現実を見ることが苦手だから。
でも自分を捨ていないことが、ちょっと嬉しい。
明日も傑作の続きを作ろう。
おやすみなさい。
私は情けない
お久しぶりです。
前回書いた日から、またもや季節が2つ変わりました。
あー死んでしまいそうだわ、と思うときがあっても、今日まで生きてます。なかなか死なないもんですね。生きたいんだな。私は。
私は18歳になった。今の季節となると、周りは受験、就職の色で溢れている。と言っても、私が居る所はそんなのと無縁な場所に感じてしまうけれど。
友人たちは、続々と未来を決定して行った。敷かれたレールに乗っているのか、乗っていないのか知りもせずに、ただ次にある世界に向けて待っている。もしくは考えることすらしていないだろう。明日もその先もあると信じて、生きている。
それが、私はとても羨ましい。明確なものを何も持っていないからだ。自暴自棄になった私は勉強も嫌だし、就職も嫌だ。また学校に行くなんて嫌だし、新しい人間関係も面倒だ。社会は冷たいものだと思う。人は酷いと思う。こんちきしょうほど強く生きるものだと思ってしまう。
今こうしてベラベラ言葉を並べて逃げる自分が一番情けない奴って知ってるけどさ。
一応、こうなるんだって決めたこともあるから、こんな糞みたいな状態でも今からお風呂に入って寝ようとしている。
どんなに挫折したって、これまで私の中の希望がほんの小さく生きていたから、踏みとどまってきた。
よく考えると私の人生はたくさん傷ついているし、他人をたくさん傷つけてしまったし、みじめだし、みっともないし…グズな私にしたらよく生きてきたって褒めたくなった。
こういうお花畑な頭をしているから、ダメなんだろな。
さあ、お風呂お風呂
これからアン・ルイスのグッドバイマイラブを湯船で歌うんだ私
そして明日、久しぶりの友人にメールを送るんだ。
明日、仲良しの友人を家に呼んで2人でグダグダおしゃべりするんだ。
おやすみなさい。
あほ
前の記事を書いてから、だいぶ経った気がする。実際、季節は2つ変わった。
そして私はもう半自由人じゃない。まあ、生活は半自由人とさほど変わらないけど。
それに倦怠感と責任感と、不安とつまらなさをプラスしたのが今の私のまいにちだ。
私は昔、強かった。
大人に可愛がられたくて、周りの人気者になりたくて、同年代に負けたくなくて、人一倍 目立ちたくて、人一倍 頭が良くなりたくて、人一倍頑張りたかった。
だから、惨めな気持ちになってもめげなかった。いつの間にか毎晩眠れなくなっても、溌剌としていた。苦しくてもやってける気がしてた。それが普通だとさえ、思っていたから。
昔の私と今の私に共通していることは、なにをしても間違ってる、空回ってるような気持ちになることだ。
今は、簡潔に言えば、何もかも嫌になってしまったってこと。傷つきたくない、もう惨めな自分を感じたくなかった。
頑張っても変わらなかった過去が、未来を縛り付けている。結局、今も傷つけている。苦しくて、バカみたいに逃げることしかできない。
もっと簡単に言うと、怠けてるだけだった。
頑張ることを怖がって、そして怠けてる。
傷つくことを怖がって、怠けてる。
怠けることは、楽だ。とっても簡単だ。
でも、楽しくない。充実感もない。とてもとても薄い。24時間が途端に12時間になる。
とりあえず、今は希望がない。
出来るなら、消えてしまいたい。
眠れない夜
今日は眠れない夜だ。
10時過ぎから夜中にかけて映画を観たのがいけなかったのかベッドに潜っても目がぱっちりしている。
さて、何の映画を観たのかというと、
私は、子供の頃から映画が苦手だった。当時の自分に苦手意識は無かったけど、長時間ひとつの映像をじっと椅子に座り続けて観続けるということがどうも我慢できない。
映画館に行けば、いつも後半の大事なシーンになるとトイレで席を外すんだと、付き添ってくれた父親を泣かせた。
でも、今日の私は違った。
語彙力が無いから簡単に言うと、「大好き」「素敵」「サイコー!」が詰まった作品だから自然と最後まで画面の中に目が吸い込まれた。
そんなわけで、神経が大興奮したのか全く眠れない。神経が大興奮とは変な表現かもしれないと我ながら思うけど。
かと思いきや、こんなにしょーもない記事を書いているとやっぱり眠くなってきた。
眠れない夜を何度も過ごした私にはわかってきたことがある。イヤイヤ勉強とか、つまらない本を読んだり、つまらない音楽を聞いたり、とにかくつまらないことをするとすぐ眠くなる、ということだ。
ぜひ、眠れない人には「つまらない」をおすすめしたい。
貴方のせいよ。
相変わらず、新しい役は見つからない。
半自由人でいるのも、なかなか楽ではない。家族中からゴヤゴヤ言われるのも勿論、学校との繋がりを今すぐバッサリ切り離すワケにもいかないからだ。
それは、半自由人の道を選んだ私の全て責任であるけども、きついきつい。兎にも角にも、周囲が鬱陶しくてたまらない。
餅のように、ねちっこく私から離れてくれない。それはきっと、これからもずっと一生、自分が生きている限りくっついてくるだろう。
そして私も私で、周り無しには生きていけなくて、すがるような人生なのかもしれない。
そう思うと、なんとも言えずもちゃくちゃした気分になり、あー全部嫌だやめたやめたと言いたくなる。
分かっている。周りは私を思ってくれていることも、それを申し訳なく思う自分の気持ちも知っているのだ。それが半自由人の一番苦しいポイントなのだ。
でも、本当にそうなのかなあ。
それだけではないのかもしれないと、今日17にして知った。
「貴方のせいで私もあの人も苦しんでいる」
貴方が苦しんでいると、私たちはそれ以上に苦しい。
私のせいなの?
貴方のせいよ。
と言った。
3月の夕方の寒さを忘れてしまうほどびっくりした。
「だから、貴方は私のために頑張って。」
私のために頑張ることが、貴方のためになる。今後の貴方に活きてくる。とも言った。
どうして、自分のことを他人のために頑張らなければならないのか。
あの人は、自分の苦しみを無くすために私にそう言うのか。
言葉にしてぶつけたかったけれど、前を行く姉の背中を見つめながら、隣に立つあの人に向けて、うん頑張るねと言うことしかできなかった。
情けなかった。若い自分に自信がなかった。
あの人に、申し訳ない気持ちはある。それでも、言われたことをどうしても受け入れることはできなかった。
若さを理由にしているけど、自分の存在自体に私は自信がないのかもしれない。
あの人の言葉は、私の心におもりをつけた。
私の新しい役はきっと見つかる。見つかるけど今はない。
明日は見つかるだろうか。
わたしは半自由人。
わたしは、だいたい朝7時に目が覚める。
半自由人になった今はこれくらいでちょうどいい。というか、起きる時間なんてのはどうでもいい。
半自由人とは何か説明しよう。
自分の周りを捨てきれずギリギリにしがみついているけど、少しだけ世の中からはみ出した人のことだ。
話を戻そう。目覚めて1日が始まっていても特に予定など無いのだからグダグダと時間を消費するだけだ。1日24時間というのはだいぶ短いもんだ。
食べたい時間に、食べたいものを好きなだけ食べる。ヘロヘロな身体をしているから多少太ってしまえばいいと思ってる。
天気が良ければ、散歩をする。何度も歩き慣れた道は退屈なようでいて毎回新しく見つけるものがあるから嫌いではない。それに、朝歩くか、昼歩くか、夕方歩くかで違った空気が感じられるのだ。同じ道でも同じ散歩は一度も無いのだということを、わたしは最近知った。
と、カッコつけてみたくなった。
夜は、ベッドという楽園に入って毛布にくるまる。寒い日はエアコンを27度にしてぬくぬくの部屋にしちゃう。
ベッドは寝るだけのものじゃない。いろいろなことができる。というと、響きが怪しい。
音楽に集中できるし、思ったことを書き留めることもできる。
今日を振り返ったり、明日はなにを食べようかと考え込むこともできる。
ときには、戻らない日を思い出して苦しんだり、自分の間違いに悲しくなる。
それでも良いのだ。その分わたしは、自らの甘くてまぶしすぎる未来を想像しては、幸せを取り戻す。考えるくらい、いいだろう、な、いいだろう?おい、と心の中で誰かに畳み掛けるわたしはだいぶ頭がいかれているだろう。
そうでなければ、わたしの生活の均衡は保たれないのだよ。やっていけそうにない。
ベッドで、できることはわんさかあるのだ。
ここ数ヶ月眠りが浅く短くな夜を過ごして知った。これまた最近のことである。
半自由人でいられるのは期限付きだ。次の役が定まるまでである。
今までみたいに、あぐらをかいて屁をこいてる訳にはいかないのだ。だから、あと少しだけ楽しもうと思う。今楽しむことを辞めたらわたしが崩れてしまうことが分かっているからこそだ。
半自由人は明日も生きます。
ということで、第1回目はおしまい。
お休みなさい。